侍がもっとも重んじた「名誉」
侍は生まれながらにして「名誉」を自覚していた
「名誉」は最高の善であった。侍を目指す若者が追求しなければならない目標は、富や知識ではなく、名誉であった。
「侍を目指す若者はわが家の敷居を越えるとき、世に出て名を成すまでは二度とこれをまたがない、と自分自身に誓ったものである。
またわが息子に大きな望みを託した母親は、息子たちが“錦を飾る”という言葉どおりに故郷に帰るまでは彼らと再会することを拒んだ」侍の息子は、「名誉」のために、貧困、肉体的または精神的苦痛という試練に耐えたのだ。
「名誉」は損得勘定なく、“自らのなかで”追い求め続ける目標なのだ。
ゆえに世間の評判を気にするような「名誉」は本当の名誉ではない。
名誉
名誉の観念は外聞や面目などの言葉で表されるが、裏を返せばすべて「恥」を知ることである。
「恥ずかしいことをするな」「対面を汚すな」「人に笑われるぞ」武士の間では羞恥心を知ることが幼少の教育においてまずはじめに行われた。
恥は道徳意識の基本であり、武士道における名誉とは、人としての美学を追究するための基本の徳である。
武士道の名誉とは、名を尊び、自分に恥じない高潔な生き方を貫くことである。
刀は侍の魂
たとえ飢え死にしても売るわけにはいかない。
武士道は刀をその力と武勇の象徴とした。幼少のころから刀の使い方を教えられる。
まずは木刀から始まり、15歳で元服すると真剣を携帯しての行動を許される。
その時彼が自覚するのは自尊心と、危険な凶器を往来で持ち歩くことに対する責任感である。